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チベット仏教の歴史 について

チベット仏教とは、チベットの地で栄えた仏教の一派であり、インド仏教の伝統を受け継いでいます。
チベット仏教の歴史は、以下のように分けることができます。

初伝時期(7世紀~9世紀)
暗黒時代(9世紀~11世紀)
復興時代(11世紀~13世紀)
繁栄時代(13世紀~20世紀)

初伝時期は、チベットに仏教が最初に伝わった時期です。ソンツェン・ガムポ王は、ネパールと唐から王女を迎えて仏像をラサに建てた寺に安置しました。彼はまた、仏教の十善戒に基づく十六箇条の勅令を定めて、国民に仏教的な倫理観を示しました。これらの功績によって、彼はチベット仏教の始祖とされています。

ティソン・デツェン王が、インドからシャーンタラクシタとパドマサンバヴァという二人の高僧を招きました。シャーンタラクシタはチベット人に仏教の基礎を説き、パドマサンバヴァは土着の神々を仏教に帰依させるとともに、密教の修法を授けました。彼らはサムイェー寺を建立して、チベット人による本格的な仏教学習と実践の場を提供しました。これらの功績によって、彼らはチベット仏教の開祖とされています。

暗黒時代は、チベットの古代王国が崩壊して仏教界も衰退した時期です。レルパチェン王が暗殺されたことで、王権が弱体化しました。ランダルマ王が即位すると、彼は排仏政策を行って多くの僧院や経典を破壊しました。これらの混乱によって、インドとの交流も途絶えて、仏教は一時的に衰微しました。しかし、この時期にも仏教は民衆の間で信仰され続け、チベット人の心性に深く根付きました。また、一部の僧侶や訳経師は、インドやネパールに赴いて仏教の教えを学び、チベットに持ち帰りました。

復興時代は、インドからアティーシャが招聘されて仏教が再興された時期です。グゲ王国のイェシ・オー王がインドの名僧アティーシャを招き入れました。アティーシャはチベット人に仏教の教えを広く伝え、小乗・大乗・密教という三重構造の実践体系を整理しました。これを「ラムリム」と呼び、以後のチベット仏教界の主流となりました。アティーシャの弟子ドンツォンパは、カダム派という新しい宗派を創始しました。カダム派は、顕教と密教の併修を重視し、性的実践を行わないことで知られています。

繁栄時代は、チベット仏教が隆盛を極めた時期です。モンゴル帝国がチベットへ侵入しましたが、サキャ派のパクパ・ロドラクがクビライ・カンと友好関係を結んで、チベット全土の統治権を与えられました。これによってサキャ派は最大勢力となりましたが、その後内紛や他派との争いによって衰退しました。ツォンカパはカダム派から独立してゲルク派を創始しました。ツォンカパはラムリムをさらに発展させて『菩提道次第』と『秘密道次第論』を著し、顕密併習の修道論として広く受け入れられました。彼はまた、僧院制度や戒律を改革して厳格化し、多くの僧侶や信徒を集めました。ロンチェンパはニンマ派で偉大な思想家として現れました。彼はニンマ派の古訳経典や密教修法を整理して『宝積論』や『大究竟心髄』などの著作を残しました。